セーヌに架かる橋 -コンコルド橋ー
2009年 08月 25日
コンコルド広場から 左岸へ架けられた橋
その呼び名は 広場と共に何度も変わる運命をたどります
Pont Louis16世 (ルイ16世橋)→ Pont de la Revolution (革命橋)
→ Pont de la Concorde (コンコルド橋)
そして王政復古時代に 再度Pont Louis16世となり
1830年 Pont de la Concorde に落ち着きます
橋の一部に 1791年の革命により崩壊された
バスチーユ牢獄の大理石を使って造られたという 非常に稀な橋です
1932年 現在の橋の幅に広げられました
左岸の袂に在るのは Le palais Bourbon (ブルボン宮)
現在は国会の下院Assemblee Nationale になっていますが ギリシャ神殿様式
annonce de abalition du regime imperial palais de corps legislatif 1870年
ブルボン宮を背に 反対側右岸袂にはコンコルド広場
オベリスクの奥に見える神殿様式の建物は マドレーヌ寺院
フランスで二番目に大きな広場だそうです
噴水が2つ
この広場の排気ガス公害は深刻で
傷みが酷かった像や記念碑などは 何年か前に修復されています
広場中心に オベリスク
オベリスクの向こう東側には チュイルリー公園
公園を抜けて ルーヴル宮まで一直線
コンコルド広場は シャンゼリゼ通りの入口でもあります
西側は 凱旋門をくぐりデファンスの門まで一直線
北側ロワイヤル通りのずーと奥 別のギリシャ神殿様式の建物が見えますが・・・?
マドレーヌ寺院
まさに 左岸のブルボン宮と対になっています
オベリスクを中心にして 東にルーヴル 西に凱旋門が一直線に位置
南にブルボン宮 北にマドレーヌ寺院が一直線上
下の写真はマドレーヌ寺院を背にして撮りましたが ブルボン宮まで一直線
遠くには アンヴァリッドの金の屋根まで見えます
こういう整然とした造り方 見事ですね
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私は コンコルド広場の夜景が最も好きなのですが
この広場には強烈な歴史があるのです
この広場を造ったのはルイ15世
これまたマダム・ドュ・ポンパドールのお気に入りの建築家 ガブリエルなどによるもので
「ルイ15世広場」と名付けられ 中央には彼の大きな騎馬像がありました
ルイ16世とマリーアントワネットの結婚披露も ここで執り行われたらしいのですが
皮肉な事に 後に彼らがギロチンにかけられたのもこの広場なのです
処刑の前日 幽閉以来初めて家族との面会を許されるルイ16世
翌日 ギロチン台へ連れて行かれるルイ16世
この時には Place de la Revolution (革命広場)と改名されています
ルイ16世の処刑 1793年 1月
未亡人になった マリー・アントワネットの肖像
コンシェルジュリー宮で 自分も処刑される運命・・・
前に開かれた日記に書かれてある言葉
「主は 私に全てを与えたもうた
そして主は 私から全てを奪いたもうた」
マリー・アントワネットの処刑 1793年10月
男が 彼女の首を刺して掲げています
その後 ルイ18世の王政復古時代
ルイ16世を偲び 今度は「ルイ16世広場」と改名されましたが
再度の革命が起こり また「コンコルド広場」と改名され そのまま定着します
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コンコルド橋からの眺め
アレクサンドル3世橋と エッフェル搭が美しい
グランパレ ガラス張りの屋根が綺麗
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